2011年07月01日

東日本大震災 被災支援・第2回 現地ボランティア報告(奥地圭子)

東日本大震災 被災支援・第2回 現地ボランティア報告
奥地 圭子


 梅雨の中でしたが、6月24日(金)〜27日(月)の4日間、石巻市に現地ボランティアとして行ってきました。

2406.jpg シューレ大学生5名、スタッフは私を含め6人、計11人が車2台にプロパンガスや野菜、寄付用自転車などを積み込み、松島町にあるスタッフの実家に泊めていただいての現地支援で、5月連休に続いて第2回目の現地支援でした。

 今回は、1回目の縁で、避難所とつながることができ、温かい汁物を望まれたことから飯野川中学校で2回目の炊き出し、また飯野川小避難所にも訪問、Tシャツ99着を寄付してきました。

2401.jpg その他、1日目には、石巻教育委員会からお話しを聞くことができ、石巻専修大学ボランティア団体打ち合わせにも参加、2日目には、避難所の方々のヒアリングや子どもとの遊び、3日目には日和山と大川小、4日目には、雄勝半島の漁村である立浜(たてはま)に行くことができました。

 1ヶ月半の差でしたが1回目とえらい違いで変化を感じてきました。その様子を分担して報告いたします。



■教育委員会が語ってくれた「今」

 小中64校あるうち、被災して使えなくなった学校は14校(小9、中5)あるそうですが、なんと、4月21に、64校すべてが学校生活を開始しました。
 つまり14校は他校に間借りしての開校であり、なかには、学年毎別々の所もあるとの事。
 登下校はスクールバスですが家や避難所のそばまでまわっているとできないので、元の学校に集まってもらうそうです。

 小中学生の死亡153名、行方不明26名、つらい話です。この中には大川小の63名が含まれます。
 両親が死亡、不明の震災孤児は40名、でも児童相談所など紹介するが、親戚や養子縁組して引き取られ、通学してくるそうです。

 不登校について聞いてみました。

 震災をめぐって、登校が増えた子、変わらない子、ケースバイケースで、問題ないように思うとの事。適応指導教室も被災したけれど、場所を移し今再開しているそうです。
 子ども全体の様子も、明るくなった子、ハイになっている子、ふさぎこんでいる子、変化のない子といろいろで、家族を亡くした子は家の中が暗い、今まで通りの子と、何もかも無くした子が一緒に学んでいるので差を感じてづしたらいいかという日々だそうです。
 つらさはこれから出てくるだろう、との話はうなづけました。他府県への転出は小中合わせて今600名が移動したそうです。
 教育委員会は委員会でいっぱいいっぱい、やれる事に一生懸命という感じでした。
posted by shuresp at 16:36| 第2回現地派遣報告

2011年05月16日

第1回現地派遣報告<雄勝半島 立浜地区>

IMG_8875.JPG雄勝半島立浜地区 津波でみんなもっていかれた

震災支援の3日目は、雄勝半島でのボランティア作業だ。河北ボランティアセンターに集まった人々と合わせて、総勢70人、車25台の大集団である。

道すがら、津波の被害で壊滅した集落をいくつも通り過ぎた。
到着すると、私たちのグループは漁師の今野さんの案内で、消防団のポンプ小屋の片付けに向かう。
小屋は大小の瓦礫で満たされ、一日の前半は、これを掻き出すことに費やした。作業を進めていくと、瓦礫の山は冷蔵庫やこたつや畳など、破壊された「生活」だということに気づく。

今野さんは現在、車で2時間離れた避難所にいる。
食事は一日、おにぎり2個と缶詰などしか配られず、炊き出しは4回しか来ていないと言う。
地震の時は、集落のほとんどの人が避難したが、指定の避難場所にも水がきたので、さらに奥に逃げた。
立浜地区の48戸は、一戸を残して全て流された。
地震で家のものが多少壊れたりしたが、津波でみんなもってかれっちまった、と今野さんは言う。

この立浜地区では、半数が漁業に関わっている。
ホタテやかきなどの養殖が盛んで、年間3億円を売り上げる。
しかし養殖設備は、この津波でほぼ全部が流された。
養殖の種付けは、例年6月に行う。そのために必要な海の中に残る瓦礫の撤去が、ようやく始まろうとしている。
posted by shuresp at 22:19| 第1回現地派遣報告

2011年05月15日

震災募金 中間報告

 東京シューレで呼びかけさせていただいた募金に皆様の善意をお寄せいただき、大変ありがとうございます。

 5月14日時点、皆様から集まった義援金について、ご報告させていただきます。

      A募金 393万1760円 (93件)
      B募金  29万6000円 (34件)
     指定無し  11万4000円 (12件)
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      合 計 434万1760円


 なお、このゴールデンウィークには、別にご報告させていただいているように、仙台・石巻方面に、被災支援に行ってきました。今回は、支援物資や資材、運搬費、現地の活動費など、支出総額が90万円弱程度となる見込みです。

 支出詳細につきましては、集計が済みしたら、改めて報告いたします。

posted by shuresp at 08:14| 寄付・募金報告

2011年05月14日

第1回現地派遣報告<フェアトレード東北>

5月2日、石巻市蛇田のNPO法人フェアトレード東北を訪問した。
この法人は引きこもり・不登校・発達障害・依存症・うつ病・摂食障害などの方々への支援活動を行う団体である。

3月11日震災当日、メンバーの方たちは体育トレーニングの最中で外のスポーツ施設に出かけていた。
引率スタッフは1名、子ども・若者は17名であった。
電話がつながらず、親への連絡もつかないままで、みんな3日間かけて手をつないで、事務所のある場所まで帰ってきたそうだ。

IMG_8780.JPG
とにかく震災後2週間は食事を取るということが大変だったという。
水びたしになったレトルト食品を、井戸水で洗って食べるなどしてしのいでいたそうだ。

電話がつながったのが1週間後、行政が入ってきたのは3週間後で、このあたりの地域は200戸あるうち無事に残ったのは3戸だけだった。

避難所に入っていたが、そこが居にくく、1人でふらふら歩いていた高齢者が、他の避難所に行ったら、門前払いになったという話もあった。

自分の家の1階はめちゃくちゃだが、2階部分はかろうじて住めるという人は避難所に入れない。
また自分の住居にすんでいるが、支援物資をもらえるという情報がなく、数日食事を取っていない、という人もいた。

避難所の中でも支援物資やボランティア体制に差があり、また地域そのもののも相当差があることが実際行ってみてわかった。フェアトレード東北では、さまざまな支援から「はじかれた」人たちを支援する、今困っていることをすぐに対応する、ということに徹していた。しかい一団体がやれることには限界もあり、今後、行政の支援体制を整える仕組みが早急に必要と感じた。
posted by shuresp at 22:29| 第1回現地派遣報告

第1回現地派遣報告<石巻市>

河北ボタンティアセンターを出た後、私たちは石巻の市街地に向かいました。

市街地は、何とか車だけは通れるようにした、そんな感じでした。
道の両側には壊された家、家財道具、流された車などの瓦礫の山がうず高く積まれ、信号機もまだ機能しておらず、道路のあちらこちらに地震による段差がいたるところにありました。
この先の復興への長い道のりを感じずにはおれない、そんな状況でした。

そのような街中をとおり、日和山公園へと行きました。
そこは小高い山になっており、市内が一望できる場所です。山の上には緑が茂り、山桜が咲き、とてものどかな、気持ちのいい場所でした。

しかし、そこから、目に飛び込んできた市街地は津波によって何もかもが破壊され、全てが失われてしまった街跡でした。
あの日、この山に避難した人たちはこの山の上から津波が町を飲み込んだ様子をどのような思いで見ていたのか・・・・。

山の上は神社が建っており、市街地を見下ろす場所にある鳥居のもとには被災者の方々を悼む花々が添えられていました。
ちょうど訪れたときにはその神社で鎮魂のための三味線、和太鼓による法要がなされていました。
IMG_8682.JPG

また、偶然に、国会議員の馳さんとお会いし、支援活動などの話をすることができました。

その後、建設中の仮設住宅の場所へ向かいました。市内の何箇所かで建設中ですが、私たちが訪れたのは公園だった場所に190戸の仮設を作っている場所で、6月20日から入居予定となっていました。
ただ、被災されている方が、市内には2万人とも言われており、その数の少なさを感じました。
posted by shuresp at 22:26| 第1回現地派遣報告