2011年07月11日

寄付・募金のご報告

これまでに、のべ216名の方々に寄付・募金をいただきました。

募金A  4,652,129円
募金B   398,230円
合計   5,050,359円

このうち、東日本大震災現地応援基金へ、278,761円の募金を実施しました。

ご協力ありがとうございます。

現地支援など、支出内訳については、またまとまりましたら、ご報告させていただきます。
posted by shuresp at 19:39| 寄付・募金報告

2011年07月10日

感想(野田、高橋)

感想                          野田三喜子

 今回初めて被災地に入りました。これまでテレビや新聞で見聞きしていた光景を目にしたり、実際に被災された方の話しを聞くことができたことができました。

 現地に入り、最も印象的だったのは、前回の支援の際につかんでいた状況の変化が多くあったということです。

 炊き出しに伺った飯野川中学校では、仮設住宅への移転がすすんでおり、被災当初は400人前後の方が避難されていたそうですが、現在は140人前後に減っているとのことでした。

 また前回来た時は、街道の瓦礫撤去がまだまだ手付かず、という状況だったそうですが、現在では自衛隊等を中心に重機による作業がすすんでおり、主な道路は交通が通常通り行なわれるほどに回復していました。

 また市内から奥の方に位置する雄勝浜周辺も漁師さんたちの自主的な復興が行われており、漁船もいくつか浜につけてあったり、仮設住宅の完成などがみられました。

 しかし、津波の被害のあった魚介類の加工工場があった石巻市では、処理しきれていない生ゴミの匂いなどが広がっていました。これから夏を迎えることを考えると、このような処理の問題が重要になってくるということです。

 今回被災地を初めて訪れて感じたことは、今現在の状況は実際に伺ってつかんでいくことが重要だということです。それによって実際に必要とされているニーズに合った支援が初めて可能になると思います。よって今後も現地に実際に伺った上で支援を継続していくことが望ましいと感じました。


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感想                            高橋 貞恩

今回は初めて避難所を訪れました。震災から三ヶ月、避難所のみなさんはだいぶ疲れているようでした。

ダンボールの低い間仕切りがあるきりの狭いスペースでの生活、共同での洗濯機やトイレの使用、風呂や食事の煮炊きも自由にはままならない----そんな苦しい生活を強いられながらも、訪れた2箇所の避難所では共同生活の規範が保たれていました。トイレはきれいに清掃されており、洗濯場やゴミ捨て場などの共有スペースにも混乱は見られませんでした。

炊き出しをした飯野川中学校では、避難所の子どもたちと遊ぶ機会がありました。サッカーやちゃんばら、ひとしきり遊んで帰る段になって「また来るの?」と問われた時、胸が詰まる思いがありました。自分自身がこれから被災地とどう関っていくのか、改めて問われた気がして、何も応えられず、現在に至っています。

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posted by shuresp at 08:16| 第2回現地派遣報告

2011年07月05日

被災地で聞いたこと(1)(佐藤信一)

今回、現地で出会った方々に、皆さんの声を届けようと、インタビューをさせていただきました。

現地の状況を知っていただくために、まとめたモノを皆さんにもご報告させていただきます。

(担当:朝倉・佐藤)



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■女性A

仮設住宅について:「ここに避難している人の多くは仮設住宅に入る。仮設住宅を見に行ったところ、家電も全部ついていた。私は、貸家に移る。みんなが仮設に入るタイミングで私も移ろうと。ここの避難所にも最初は倍以上の人がいたが、だいぶ減った。体育館は中学校のものだから、いつかはここを去ることを考えなければならない。」

ご家族について:「息子は、遠洋漁業をやっており、去年の7月に出発していらい帰っていない。今度帰ってきたらびっくりするだろうね。兄貴は今回の震災で亡くなった。最後はDNA鑑定で、東京に住んでいる娘二人と照合した。兄貴は、昨年亡くなった夫の衣服を着ていたことでわかった。」

震災直後の様子:「ここにいるみんなはヘリコプターで運ばれた。震災直後は丘に着の身着のまま逃げ、その後お寺に二晩お世話になった。食べるものもなく、とても寒い2日間だった。そこのお寺の和尚さんには大変お世話になった。」

最後に、私たちが行った炊き出しのトン汁について、「あんなにおいしいものを食べたのは、震災後初めてだった。ありがとう。」と話してくれた。


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■男性A(女性Aが二晩避難したお寺の和尚さん)

地域について:「地域には60数戸あるが、お年寄りばかり。そのうち、50数世帯(100人)ばかりが、着の身着のままで避難した。」

津波について:「こんなに大きな津波が来るとは、地元の人間でも思わなかった。甘かった。」

合同葬祭について:「檀家の10人と、そのほか2,30人の犠牲者を4月に合同葬でお悔みした。しかし、まだ見つかっていない子どももいる。ここまで捜索が長く続くとは思わなかった。」

避難所に至るまで:「地域の人々はヘリコプターで運ばれた。私は、お寺に犬や猫ととどまったが、避難勧告が出されたため、避難所に移動した。」

子どもとのかかわりの中で:「一概には言えないが、トラウマになっている子どももいて、震災の話になるとパニックになる子どももいる。だから、自分から震災の話はしない。」

大川小学校について:「地震後親が迎えに来た子どもは助かった。その時に、違う子どもも連れて行こうとしたとき、教員に止められ、連れて行くことができなかった。また、校長先生への不信感もとても高いようだ。一方で、子どもを亡くした苦しみ、憎しみを誰にもぶつけることができず、すっきりしない気持ちを持っている人もいる。」



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■男性B(石巻市非常勤職員)

現在の職業についた経緯:「もともとは電機関連の一般企業に勤めていたが、離職をしていた。そこに、今回のタイミングがぶつかった。自分も石巻市民であり、友人にも多くの被害があったということもこの職についた動機である。契約は6月1日からの半年間。」

避難所での勤務内容:「基本的には、週休2日の8:30〜17:00勤務になっているが、実質はそれ以上働いている。内容は、避難所の運営と石巻市保健福祉課との橋渡しのほか、電話の応対や、食料配膳管理などである。避難所にはほかに、県の職員が2名ローテーションを組んでやってくるが3日交代のため、その都度の引き継ぎに毎回時間を取られてしまう。」

飯野川中学校避難所の様子と特色:「震災があってからこれまでを前期・後期と分けるならば、現在は後期、一番多いときは4,500人が避難していたと聞く。子どもに関しては、現在小学生は5人、中学生は4人、高校生が2人となっている。他の避難所との違いとして挙げられるのは、避難されている方にリーダー的存在がいること。そのことによって大変統制がとれており、治安も良い。他の避難所には見られない点であろう。

これまで関わってよかったことと悪かったこと:「よかったことは、まず収入が入るということ。悪かったことは、体が疲れるくらいかな。」

支援について:「私は、電話で何が必要かという問い合わせがあった時には、自分の主観的な意見を絶対に言わずに、直接避難されている方にニーズを聞き、答えるようにしている。」

食事の配膳と配給について:「現在は、朝がおにぎり、ジュース、ソーセージ、たまに缶詰で、お昼が朝のメニューのおにぎりがパンにかわったもの、夜はお弁当になっている。炊き出しは土日はほとんど入っている。トン汁がこれまでかぶったことがなく、逆にそういった定番的なものをさけるために、変わったメニューが多くなる。なので、トン汁は大変喜ばれたと思う。」

(文章:佐藤)
posted by shuresp at 11:30| 第2回現地派遣報告

被災地で聞いたこと(2)(朝倉景樹)

 引き続き、石巻で出会った方々にインタビューをしたことをまとめました。

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女性B:石巻市内の沿岸部に住んでいて被災。80代の御夫婦で現在避難所で生活をしている。

被災時の様子…揺れが長くて、箪笥は倒れなかったけれど、棚からみんな落ちた。

直後の避難の様子…ろうそくで位牌を探して、ご先祖様を背負って中央公園に逃げた。大地震があれば津波とわかっているから。目の前で家が流されていくのを公園で見た。後から来るまで行くと言っていた人が流されてしまった。山の公園で薄いコート一枚で焚き火を炊いて70人で一晩越した。雪が降っていてとても寒かった。

避難所への移動…屋根のある非難できるところに瓦礫の中を一時間歩いて避難した。そこで二晩、小さいパン一つでしのいだ。そこから小舟で移動して、最後は消防署の車で4日目に今いる避難所にようやくたどり着いた。

今、困っていること…ここではなかなか眠れない。血圧も上がったり、下がったりしている。保証金は出ることになってるが、まだ出ていなくて見通しも立っていない。3ヶ月間で見舞金の35万円で暮らしている。

今、望むこと…仮設住宅に入居したい。だけどなかなか入れない。今日結果が出るので入れるといいと思っている。



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小学校教頭

避難所の様子・・・各地からボランティアが集まってくれて、いろんなアイディアも出してくれるし、良く動いてくれる。例えば、倉庫に使っていた部屋を遊びができる部屋に作り変えてくれた。着替えのブースもきれいなものを島根県の人が提供してくれて、置く場所や使い方も工夫されていって便利になってきた。物資は様々な届くようになっていて、困っていない。溢れるくらいある。

調理部屋・・・ここの避難所には避難所にいる人が料理をできる部屋がある。これは、行政に頼んで物を提供してもらっただけでなく、この学校のPTAの役員や親が冷蔵庫を提供したり、ガスを引く工事をしたりしてできたところだ。順番で使っている。

針仕事・・・被災した人たちの中には自分たちにできることをしている活動もある。ここの避難所のおばあさん達は針仕事がしたいということで雑巾を縫い始めた。この学校に提供してくれただけでなく、地域のほかの学校や幼稚園などにも配って喜ばれている。

子どもの様子・・・ちょっとした揺れや大きな音に怯える子どもたちもいる。また、被災していない子どもいるが、そのような子どもは自分から自分にできることをしたいといって他の人たちの手助けを始めた子どもたちもいる。


(文章・朝倉)
posted by shuresp at 11:24| 第2回現地派遣報告

2011年07月01日

炊き出しについて(木村砂織)

炊き出しについて

(木村 砂織)



 6月25日(土)、26日(日)の2日間、昼食の炊き出しを行った。

 前回石巻でのボランティアで知り合った漁師さんが、飯野川地区の避難所にいて、炊き出しがあまりない、ということをお聞きしていたので飯野川中学校で炊き出しを行うことにした。

 お昼の時間に何人くらいの方が避難所にいらっしゃるかは日によって違う。量はいろいろ考えて1日目は80人分くらいを用意した。メニューは温かいものが喜ばれる、ということをよく聞いていたので、ごはんと豚汁、サラダにした。



 当日は風が強く、コンロの火が風で流れ、火が通るのに時間がかかり、なかなか段取り良く、というわけにはいかないところもあったが、無事に完成した。

 皆さん、すぐに列をなしてくださり、正直どれくらいの方が食べてくださるか心配だったがお昼の時間帯にいた方は全員食べてくださった。味も好評だった。



 2日目はポトフとサラダというメニューにした。1日目の反省をふまえ、前日に野菜の皮むきなど下ごしらえできるものはしていった。あいにくの雨模様となったが、手順も多少慣れてきて早々に完成した。

 作っている最中にも、仮設住宅への引っ越しが決まり、荷物を運び出す方がいらしたり、仮設住宅の抽選にきた、という方もいらした。

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 2日目は私たちが帰る時に、雨の中、避難所の皆さんが体育館から出てきてくださり、「おいしかったよ」、「ありがとう」と声をかけながら見送ってくださった。

 避難所生活も3カ月を過ぎ、これから本格的な暑さとの戦いにもなり、本当に大変なことと思う。食べたいものが食べられない、ということもストレスになられるだろうな、と思った。

 避難所でのほんの少しのお手伝いだったが、そこで私たちが感じたことを日常に戻ってからもきちんと多くの人に伝え、私たち自身が常に意識にとめておく、ということが必要だと感じた。
posted by shuresp at 16:50| 第2回現地派遣報告