2011年12月02日

東京シューレの子どもたちと現地に行ってきました。


(報告:佐藤信一)


 10月28・29日の2日間、東京シューレ会員6名、OG1名、シューレ大学生1名、奥地ほかスタッフ3名の計12名で、宮城県石巻市へ支援活動に行ってきました。

 事前に石巻災害ボランティアセンターの阿部さんより、震災直後から現地で支援活動を行っている「NGO未来」を紹介していただきました。
 代表の藤吉さんとのやり取りの結果、今回は2つの仮設住宅での炊き出しを行うこととなりました。
 対象の仮設住宅は、石巻専修大学から車で数分のところにある開成団地(約70世帯)と南境団地(約300世帯)となり、合計で500食分を作るのに必要な食材やその他機材の準備を進めていきました。



 初日は夕食を6時に提供できるよう計画していましたが、直前の情報で日が落ちるのが早いため6時には食べ終えて解散するのがベターであると知らされ、東京から車で向かったメンバーが到着次第、急ピッチで用意を始めることとなりました。
 メニューは、トン汁・煮物・白飯・おしんこでした。
 電車で向かった会員の子どもたちが到着すると、各家庭を訪問し、炊き出しのお知らせと共にお手伝いをお願いして回りました。
 すると、何人かの女性たちがお手伝いに来て下さいました。
 藤吉さんから、炊き出しそのものの役割が震災直後の緊急支援的なものから、仮設住宅の住民間のつながりをつくるきっかけという意味合いに変化していることを事前にお聞きしていましたが、それを感じる場面でした。
 住民や未来の方々の協力を得ながら、無事4時過ぎには準備ができ、多くの方々に食べていただきました。
 その後は、翌日炊き出しを行う南境団地に向かい300世帯の各家庭にお知らせを手分けして配布しました。

 2日目は、お昼の炊き出しを行いました。
 メニューは、中華丼・ポテトサラダ・白飯・おしんこでした。
 初日の開成団地は規模もそこまで大きくなくアットホームな印象でしたが、南境団地は300世帯ということで、一列に並んだ仮設住宅が何十棟も連なっている光景が印象的でした。
 この日は、未来の方々の他に、神奈川県社協からのボランティアの方々も加わり準備を進めていきました。
 無事終了した後は、子ども達を対象としたビンゴ大会を実施したり、ギターやカホンによる演奏も行いました。






 最後は、みんなで日和山公園に向かい、視察しました。子ども達は、それぞれ真剣なまなざしで、まだまだ被災の跡が生々しい現実を目の当たりにしていました。



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 以下に、参加した子どもたちから聞き取った感想を掲載します。

松本萌
「私は、最初は現地の人とあまり交流ができないのではないかと思ってた。けど、炊き出しの準備をしている間に、おじさんがおにぎりを握ってくれて渡してくれた。人がとても暖かかった。2日目の時には、仮設住宅に住んでいるおばあちゃんが一人でおじいちゃんの分も運ぶんだと言ったので、大変だと思って一緒に手伝った。その時に、改めておばあちゃんが、震災の話をしてくれて、仮設に住んでいる人たちは家が流されてしまっていることは知っていたけど、ちゃんと考えていなくて。それで、おばあちゃんが経験したことを話してくれた時、ものすごく悲しい気持になった。泣きそうになった。それから、地元の子ども達と遊んだビンゴがとても楽しかった。ちょっとは元気をだしてくれたかなと思った。」

荒木さくら
「最初の頃は、元気づけてあげようと思った。それから現地の人達との交流を楽しみにしていった。炊き出しの時に、ある夫婦が仮設住宅から食べに来てくれて、家まで運んだ。それが意外と遠い仮設住宅で、こんな所から来てくれたんだと思った。「きれいな空だね〜」とか、たわいもない話をした。他の住民の人がすれ違った時、おばちゃんが「あそこで炊き出ししてるんだよ」と微笑みながら話をしていたとき、初めて交流ができたなと思った。初日の夜に、翌日の炊き出しのチラシ配りをしたとき、仮設住宅全体がシーンとしていたことがすごく印象に残っている。さみしい感じがした。昼間は賑やかだったこともあるから、そのギャップに震災の被害の深刻さを実感した。日和山公園からの風景は、とても記憶に残っている。私は、元気づけたいと思って、ビンゴゲームも楽しくやろうと思ったり、あいさつもちゃんとやろうと思っていたけど、逆に現地の人達に元気づけられた。「ありがとう。」って言ってくれたり。一日目が終わった時「明日も来るね」と言ってくれたり。一日目は緊張だったけど、二日目は楽しくできた。もう一回行きたいと思った。

ケリー・ブランドン
「To me, everyone was sad. So, I didn’t want to be sad, because that wouldn’t be good for the people of the Tohoku. So I try to be strong or take a leadership but I found that the people of Tohoku were already standing up on their own. So, I found that surprising.
「僕にとって、すべてが悲しかった。だけど僕は悲しくなりたくなかった。なぜならば、それは東北の人々にとっていいことではないから。だから、僕は強くなったり、リーダーシップをとっていくべきなのではないかとも思った。でも、僕は東北の人々はすでに、自分たちの力で立ちあがろうとしていることを知った。それは、僕にとって驚くべきことだった。」

マガリン・アンドリュー
「I feel sad. I saw there was no house from Hiyoriyama park. I was worried about all of children and youth. Everybody is natural. I pray the god. I was happy because I could help the people. I remember that playing with kids. So I was happy.」
「僕は悲しかった。なぜなら、日和山公園から見える家は無かったから。僕はすべての子どもや若者たちが心配だ。地元の人達は、とても自然に接してくれた。僕は、人々を手伝うことができて幸せだった。子ども達と遊んだことも覚えている。それも僕はうれしかった。」

弓納持有隆
「ボランティアって、長期的な関わりをしていくことが一番だと思うから、僕らみたいに2日間のボランティアってそんなに役に立てないと思っていた。だから、地元の人達からもその場限りの人達と見られてしまうかなと思っていたけど、実際にはそうではなかった。1日や2日でも、地元の人達に喜んでもらえることができるなら、これからも続けていきたいと思った。」

posted by shuresp at 17:11| 第8回現地派遣報告