4月の現地派遣に続き、6月2日には前回と同じ東松島市の仮設住宅にて活動を行ってきました。今回のテーマは、東京シューレでも何度かワークショップをしていただいている刃物研ぎ師の菅野貴之さんを講師に、刃物とぎの実演を行いました。シューレからは、萩原、野田、西野、佐藤の4名が参加しました。菅野さんの高い技術と魅力あふれるトークのおかげで、ひっきりなしに住民の方々がご自分の刃物を持参してお越しになりました。中には、津波で流され、塩水につかり、錆で使えなくなった刃物を大事そうに抱えながらお持ちになるかたもいて、刃物研ぎへのニーズが高いことがわかりました。そこで、次回の現地派遣も菅野さんを講師にワークショップを行うことを予定しています。
2012年06月06日
6月2日
6月2日 震災支援PJ(第15回) 東松島市仮設で実施
4月の現地派遣に続き、6月2日には前回と同じ東松島市の仮設住宅にて活動を行ってきました。今回のテーマは、東京シューレでも何度かワークショップをしていただいている刃物研ぎ師の菅野貴之さんを講師に、刃物とぎの実演を行いました。シューレからは、萩原、野田、西野、佐藤の4名が参加しました。菅野さんの高い技術と魅力あふれるトークのおかげで、ひっきりなしに住民の方々がご自分の刃物を持参してお越しになりました。中には、津波で流され、塩水につかり、錆で使えなくなった刃物を大事そうに抱えながらお持ちになるかたもいて、刃物研ぎへのニーズが高いことがわかりました。そこで、次回の現地派遣も菅野さんを講師にワークショップを行うことを予定しています。

4月の現地派遣に続き、6月2日には前回と同じ東松島市の仮設住宅にて活動を行ってきました。今回のテーマは、東京シューレでも何度かワークショップをしていただいている刃物研ぎ師の菅野貴之さんを講師に、刃物とぎの実演を行いました。シューレからは、萩原、野田、西野、佐藤の4名が参加しました。菅野さんの高い技術と魅力あふれるトークのおかげで、ひっきりなしに住民の方々がご自分の刃物を持参してお越しになりました。中には、津波で流され、塩水につかり、錆で使えなくなった刃物を大事そうに抱えながらお持ちになるかたもいて、刃物研ぎへのニーズが高いことがわかりました。そこで、次回の現地派遣も菅野さんを講師にワークショップを行うことを予定しています。
posted by shuresp at 23:04| 報告
2012年05月13日
4/29、東松島市の仮設を訪問
■4/29震災支援PJ =東松島市仮設で実施=
東京シューレの東日本大震災支援プロジェクトは、今年度も継続実施します。
第14回となる現地支援は、4/29、NPO法人スマイル・シードさんのコーディネー
トで、東松島市ひびき工業団地の仮設住宅集会所でワーク ショップを実施。
シューレの活動でも講師をお願いしている布コラージュ作家のsatomiさんと、奥
地、中村、鈴木、野田の4名のスタッフで伺い ました。
布コラージュによるポストカードづくりには、40〜80代まで、20名ほどが参加く
ださり、それぞれが、思いの赴くままに2〜3作品を作り上げま した。高齢者の
参加が多かったのですが、一緒に作りながら、ご家族のこと、被災のことなどの
話もお聞きすることができました。



7年前に、息子夫婦とお孫さんを東京に残し、生まれ故郷の東松島に夫とともに
移住されたAさんは、津波で夫と新築住宅を流され、独り身に。これま で多く
の支援団体や社協などが仮設に入って活動してきたとのことですが、Aさんは、
今回、初めて集会所での催しに参加されたとのこと。これまで夫 の葬儀や被災
による財産整理など、お一人でこなしてこられ、ようやく落ち着き仮設で知り
合った方のお誘いでの参加でした。「また、こういうのがっ たら出てみるわ」
とワークショップ後に話されていました。
[文責:中村国生]
東京シューレの東日本大震災支援プロジェクトは、今年度も継続実施します。
第14回となる現地支援は、4/29、NPO法人スマイル・シードさんのコーディネー
トで、東松島市ひびき工業団地の仮設住宅集会所でワーク ショップを実施。
シューレの活動でも講師をお願いしている布コラージュ作家のsatomiさんと、奥
地、中村、鈴木、野田の4名のスタッフで伺い ました。
布コラージュによるポストカードづくりには、40〜80代まで、20名ほどが参加く
ださり、それぞれが、思いの赴くままに2〜3作品を作り上げま した。高齢者の
参加が多かったのですが、一緒に作りながら、ご家族のこと、被災のことなどの
話もお聞きすることができました。



7年前に、息子夫婦とお孫さんを東京に残し、生まれ故郷の東松島に夫とともに
移住されたAさんは、津波で夫と新築住宅を流され、独り身に。これま で多く
の支援団体や社協などが仮設に入って活動してきたとのことですが、Aさんは、
今回、初めて集会所での催しに参加されたとのこと。これまで夫 の葬儀や被災
による財産整理など、お一人でこなしてこられ、ようやく落ち着き仮設で知り
合った方のお誘いでの参加でした。「また、こういうのがっ たら出てみるわ」
とワークショップ後に話されていました。
[文責:中村国生]
posted by shuresp at 08:11| 報告
2012年04月14日
2011年度活動報告「明日へつなぐ」をまとめました
震災から1年、2011年度の区切りに際して、
東京シューレ東日本大震災支援プロジェクト 活動報告
「明日へつなぐ」
をまとめ、ホームページへのアップと冊子を作成しました。
■ホームページ版はこちら
■PDF版はこちら
をご覧ください。
東京シューレ東日本大震災支援プロジェクト 活動報告
「明日へつなぐ」
をまとめ、ホームページへのアップと冊子を作成しました。
■ホームページ版はこちら
■PDF版はこちら
をご覧ください。
posted by shuresp at 22:16| 報告
2012年01月24日
これまでの現地訪問・支援活動について
第1回:4月28日〜5月2日@宮城県仙台市、石巻市
派遣人員:14名
主な活動:関係団体への聞き取り調査、がれき撤去、公園整備
第2回:6月24日〜27日@宮城県仙台市、石巻市
派遣人員:12名
主な活動:関係団体・被災された方への聞き取り、避難所での炊き出し
第3回:7月28日@福島県郡山市
派遣人員:2名
主な活動:不登校・ひきこもりの子を持つ親の会への聞き取り調査
第4回:8月5日〜7日@宮城県女川町
派遣人員:5名
主な活動:子どもへの学習サポート、話し相手、遊び相手
第5回:9月3日〜4日@宮城県気仙沼市
派遣人員:3名
主な活動:親の会への聞き取り調査
第6回:9月3日〜4日@宮城県女川町
派遣人員:5名
主な活動:子どもへの学習サポート、話し相手、遊び相手
第7回:9月3日〜4日@宮城県岩沼市
派遣人員:7名
主な活動:東京シューレ会員とハイテンションズとのコラボイベント参加
第8回:10月1日〜2日@宮城県女川町
派遣人員:5名
主な活動:子どもへの学習サポート、話し相手、遊び相手
第9回:10月28日〜29日@宮城県石巻市
派遣人員:12名
主な活動:東京シューレ会員が中心となって、
2か所の仮設住宅における炊き出し及び交流活動
第10回:11月5日〜6日@宮城県女川町+雄勝半島
派遣人員:5名
主な活動:子ども達への学習サポート、
話し相手、遊び相手、漁港での養殖復興作業手伝い
第11回:12月22日〜24日@宮城県女川町+雄勝半島
派遣人員:13名
主な活動:漁港での養殖復興作業手伝いと炊き出し、
女川町開催のクリスマスイベントにてお汁粉の提供
posted by shuresp at 11:04| 寄付・募金報告
2011年12月29日
12月24日 宮城県女川に行って、お汁粉の提供と交流をしてきました。
今回の震災復興支援の概要








[力石 みのり]
12月24日に宮城県女川町に炊き出しに行ってきました。
今回参加したのはシューレスタッフが9人、シューレ大の学生さん4人でした。
これまでのシューレの震災支援とは少し異なり、
“女川町クリスマス運動会”という参加者1500人を想定した、大きなイベントでした。
このイベントの代表呼び掛け人は、サッカー日本代表松井大輔選手!
女川町は海に面した町で、津波で大きな被害が出ました。
多くの人が仮設住宅で生活していて、
今でも瓦礫が撤去されず、水に浸ったままの建物が残っている場所もありました。
そんな女川の子どもたちにクリスマスプレゼント!という意味と、
女川の伝統でもあった町民運動会をやろうという気持ちから、企画されたそうです。
松井選手をはじめ10数名のアスリート、ミュージシャンがかけつけていました。
運動会の種目は、プロサッカー選手とのサッカー対決のほか、
長縄、玉入れ、リレーなどでした。
さて。シューレはおしるこの炊き出しを担当。
おしるこは500食作れるように準備しました。
あんこは東京シューレの仕事体験でお世話になっている鯛焼き屋さんにご協力頂きました。
クリスマスということもあり、みんなでサンタの衣装になりました!(大会実行委員会より支給)
おしるこは、その場で食べて頂いたのはもちろん、
仮設住宅に持って帰っていった方もいました。
皆さん、こういった炊き出しはとても楽しみにされてるそうです。
参加スタッフより=======
[石田歩]
女川の町は、とても綺麗なところで、海沿いの景色もものすごく綺麗なところですが、地震と津波の爪痕がものすごく、その悲惨さを肌で感じました。
炊き出しのブースでは、地元女川のサッカークラブに入っている高校生がお手伝いに入って下さいました。
卒業式の次の日に震災に遭い大変な思いをしながらも、幸いにして家族や親戚も皆さん無事だったそうで、自分が所属しているクラブチームの小中学生のために、イベントのお手伝いに来られたようでした。
当日は、多くの方々の協力があってこそ実現した大きなイベントで、地元の婦人会の豚汁作りの方々と、道具を貸し借りしながら、交流を持つことができました。
豚汁もカレーもとても美味しく、炊き出しに行ったはずの私たちの方こそ、たくさんご馳走になってしまうほどでした。
帰りがけに、おしるこを手にとって下さる参加者の方々が多く、当日作った量を完食することができました。
[本間周子]
今回、東日本大震災が起こってから初めて被災地に行くことができた。
仙台駅に着いた時は、東京とあまり変わらない様子だったが、翌日、車で女川へ向かうと、途中から津波の跡と見られる光景が徐々に増してきた。
1階がドアも何もなくなり、空洞になっている建物、ひっくり返って横倒しになり、底が見えてしまっている建物、おそらく何か建っていたであろう更地。
さらに先へ進むと、今度は瓦礫の山があちこちに見られるようになった。
震災からもう9ヶ月以上経ったが、地域によってかなりの差がある。
今回のクリスマス運動会の会場は、その奥にあった。
そしてすぐ横に仮設住宅があった。
私たちはお汁粉のブースを出したが、用意をしていると、仮設住宅から来られたお年寄りがたくさん並び始めた。
今回は子どもたち優先だと言われていたので、しばらく待っててもらわなければいけなかったが、娯楽も少ないであろうこの場所で、寒い中、お汁粉を求めて並ぶ姿に、楽しみにしてくれていたことを感じた。
だいぶ時間が経ってから提供することができたが、少しでも気が紛れたり楽しさを感じてもらえたなら幸いである。
今回の主役である地元の子どもたちは、スポーツやプレゼントや有名人との交流で楽しみ、とても元気そうだった。
お汁粉も多くの子が食べてくれた。
今回私は非常に短い滞在だったが、長い間地道に支援活動を続けている方々に敬意を表したいと思った。
[今田 万美子]
女川町へは仙台駅から東方面へ車で約2時間の道のりです。
朝は暗いうちから、だんだん昇っていく朝日に向かって車を走らせ、夕方は海に入っていく大きな金色の夕日に向かって帰途につく、そんな一日でした。
震災から9ヶ月以上経ってからの、初めての被災地行き、そんな立場なりの私の感想しか書けませんが、一つ印象に残ったのは、女川総合体育館の背後にひっそりと建ち並ぶ仮設住宅でした。
高台にあったためにかろうじて残された体育館の、さらに山側にその仮設住宅は建てられていたのですが、そこに辿り着くまでの道は、両側に瓦礫が高い壁となって積まれていたり、更地になってしまったりしていて、町の様相は奪われてしまっていました。
その先にある仮設住宅は、あくまで地理的な印象ですが、周囲の町との連続性がないように感じました。(その周囲の町も、同じような状況かもしれません。)
住民の方たちが、孤立した気持ちにならないだろうか、切り離されている気分にならないだろうか、そういう気持ちにさせてはならないのだがどうすればいいんだろう、ということを思わされました。
シューレは今回、クリスマス運動会というスポーツイベントの後方応援隊といった形で、子どもたちや住民の方たちにお汁粉を配り、他のボランティアグループのカレー、豚汁と合わせて、おいしいフルコースを楽しんでもらうという趣向でした。
実際どれもおいしく、喜んでもらえ、青空と太陽の下、気持ちよい炊き出しができました。
一つ心残りは、大きいイベントのこと、時間が読めず、出来立て熱々のお汁粉をお渡しすることが、常にできたわけではなかったということでした。
東京に戻ってからも色々考えたのですが、炊き出しというのは、単発的に行われることが多く、実際、シューレも何回かやってきてそうだったように、その都度、場所や、人数規模や使える道具、調達できる材料、炊き出しの位置づけや連携する人たちなど、条件が違います。その中で、どんな風にやったらみんなにいいタイミングで熱々のものを提供できるのか、考えると、これは奥深いというか、色々追求したくなってくるテーマだと思いました。
子どもたちに「お汁粉って何?」と聞かれたり、おじいさんおばあさん達とは、付け合わせの塩昆布を「これ何ですか?」「ひじきかと思った」「え、こちらの地方では塩昆布食べられないんですか?」なんていうやり取りもあったり、小さな新鮮な発見もあった一日でした。







[力石 みのり]
12月24日に宮城県女川町に炊き出しに行ってきました。
今回参加したのはシューレスタッフが9人、シューレ大の学生さん4人でした。
これまでのシューレの震災支援とは少し異なり、
“女川町クリスマス運動会”という参加者1500人を想定した、大きなイベントでした。
このイベントの代表呼び掛け人は、サッカー日本代表松井大輔選手!
女川町は海に面した町で、津波で大きな被害が出ました。
多くの人が仮設住宅で生活していて、
今でも瓦礫が撤去されず、水に浸ったままの建物が残っている場所もありました。
そんな女川の子どもたちにクリスマスプレゼント!という意味と、
女川の伝統でもあった町民運動会をやろうという気持ちから、企画されたそうです。
松井選手をはじめ10数名のアスリート、ミュージシャンがかけつけていました。
運動会の種目は、プロサッカー選手とのサッカー対決のほか、
長縄、玉入れ、リレーなどでした。
さて。シューレはおしるこの炊き出しを担当。
おしるこは500食作れるように準備しました。
あんこは東京シューレの仕事体験でお世話になっている鯛焼き屋さんにご協力頂きました。
クリスマスということもあり、みんなでサンタの衣装になりました!(大会実行委員会より支給)
おしるこは、その場で食べて頂いたのはもちろん、
仮設住宅に持って帰っていった方もいました。
皆さん、こういった炊き出しはとても楽しみにされてるそうです。
参加スタッフより=======
[石田歩]
女川の町は、とても綺麗なところで、海沿いの景色もものすごく綺麗なところですが、地震と津波の爪痕がものすごく、その悲惨さを肌で感じました。
炊き出しのブースでは、地元女川のサッカークラブに入っている高校生がお手伝いに入って下さいました。
卒業式の次の日に震災に遭い大変な思いをしながらも、幸いにして家族や親戚も皆さん無事だったそうで、自分が所属しているクラブチームの小中学生のために、イベントのお手伝いに来られたようでした。
当日は、多くの方々の協力があってこそ実現した大きなイベントで、地元の婦人会の豚汁作りの方々と、道具を貸し借りしながら、交流を持つことができました。
豚汁もカレーもとても美味しく、炊き出しに行ったはずの私たちの方こそ、たくさんご馳走になってしまうほどでした。
帰りがけに、おしるこを手にとって下さる参加者の方々が多く、当日作った量を完食することができました。
[本間周子]
今回、東日本大震災が起こってから初めて被災地に行くことができた。
仙台駅に着いた時は、東京とあまり変わらない様子だったが、翌日、車で女川へ向かうと、途中から津波の跡と見られる光景が徐々に増してきた。
1階がドアも何もなくなり、空洞になっている建物、ひっくり返って横倒しになり、底が見えてしまっている建物、おそらく何か建っていたであろう更地。
さらに先へ進むと、今度は瓦礫の山があちこちに見られるようになった。
震災からもう9ヶ月以上経ったが、地域によってかなりの差がある。
今回のクリスマス運動会の会場は、その奥にあった。
そしてすぐ横に仮設住宅があった。
私たちはお汁粉のブースを出したが、用意をしていると、仮設住宅から来られたお年寄りがたくさん並び始めた。
今回は子どもたち優先だと言われていたので、しばらく待っててもらわなければいけなかったが、娯楽も少ないであろうこの場所で、寒い中、お汁粉を求めて並ぶ姿に、楽しみにしてくれていたことを感じた。
だいぶ時間が経ってから提供することができたが、少しでも気が紛れたり楽しさを感じてもらえたなら幸いである。
今回の主役である地元の子どもたちは、スポーツやプレゼントや有名人との交流で楽しみ、とても元気そうだった。
お汁粉も多くの子が食べてくれた。
今回私は非常に短い滞在だったが、長い間地道に支援活動を続けている方々に敬意を表したいと思った。
[今田 万美子]
女川町へは仙台駅から東方面へ車で約2時間の道のりです。
朝は暗いうちから、だんだん昇っていく朝日に向かって車を走らせ、夕方は海に入っていく大きな金色の夕日に向かって帰途につく、そんな一日でした。
震災から9ヶ月以上経ってからの、初めての被災地行き、そんな立場なりの私の感想しか書けませんが、一つ印象に残ったのは、女川総合体育館の背後にひっそりと建ち並ぶ仮設住宅でした。
高台にあったためにかろうじて残された体育館の、さらに山側にその仮設住宅は建てられていたのですが、そこに辿り着くまでの道は、両側に瓦礫が高い壁となって積まれていたり、更地になってしまったりしていて、町の様相は奪われてしまっていました。
その先にある仮設住宅は、あくまで地理的な印象ですが、周囲の町との連続性がないように感じました。(その周囲の町も、同じような状況かもしれません。)
住民の方たちが、孤立した気持ちにならないだろうか、切り離されている気分にならないだろうか、そういう気持ちにさせてはならないのだがどうすればいいんだろう、ということを思わされました。
シューレは今回、クリスマス運動会というスポーツイベントの後方応援隊といった形で、子どもたちや住民の方たちにお汁粉を配り、他のボランティアグループのカレー、豚汁と合わせて、おいしいフルコースを楽しんでもらうという趣向でした。
実際どれもおいしく、喜んでもらえ、青空と太陽の下、気持ちよい炊き出しができました。
一つ心残りは、大きいイベントのこと、時間が読めず、出来立て熱々のお汁粉をお渡しすることが、常にできたわけではなかったということでした。
東京に戻ってからも色々考えたのですが、炊き出しというのは、単発的に行われることが多く、実際、シューレも何回かやってきてそうだったように、その都度、場所や、人数規模や使える道具、調達できる材料、炊き出しの位置づけや連携する人たちなど、条件が違います。その中で、どんな風にやったらみんなにいいタイミングで熱々のものを提供できるのか、考えると、これは奥深いというか、色々追求したくなってくるテーマだと思いました。
子どもたちに「お汁粉って何?」と聞かれたり、おじいさんおばあさん達とは、付け合わせの塩昆布を「これ何ですか?」「ひじきかと思った」「え、こちらの地方では塩昆布食べられないんですか?」なんていうやり取りもあったり、小さな新鮮な発見もあった一日でした。
posted by shuresp at 21:37| 第9回現地派遣報告